ウガンダ失踪選手について

news.yahoo.co.jp

 

こちらの記事では「難民を受け入れない日本」を日本人が批判しています。

確かに独裁国家や貧困国など、その国だけでは解決できない問題はあります。

世界が手を差し伸べる必要があることは理解できます。

 

しかし私は難民の受け入れには「NO」です。

私は日本に生まれることができて心から幸せだと思っています。

先人の辛苦の果てに得た平和であり、諸手を挙げて喜ぶことではありませんが

こんなに平和な国で生活できることがありがたいです。

 

しかし難民が流入すると、やはり平和は担保されません。

この国で生まれた「難民の血を引く方」なら共に生活できると思います。

でも「難民として国を捨てるような環境で育った方」の受け入れにはやはり不安があります。

人種ではなく、環境ですよね。

 

食べ物を盗まねば生きられない人

人を襲うことでしか金を得られない人

暴力で勝ち上がることが身の安全となる人

あまりにも日本と違い過ぎる…。

はたしてそんな環境で生き抜いてきた方々に「盗みはだめよ」とか通じるのか…。

「でも盗まなければ、赤ん坊が死んでしまう」と言われたら…?

平和な日本で育った日本人はどう答えるのだろう。

他人に迷惑をかけるぐらいなら飢え死にしなさい、と答えるのだろうか。

 

 こうなると宗教の世界になってしまって「自己犠牲を美徳と捉えること」をどう考えるか。

今の平和を投げうってでも、難民を数万人受け入れたいか?

私達の税金で養うことになるでしょう。

あたりまえに享受してきた平和は、変わりなく続くでしょうか?

 

 

握手する時は双方に利がある時、利がなければ「紛争」や「貧困」を見なかったことにする、それが国と国のおつきあいでしょう。

なぜ国連はウイグル自治区を見殺しにするのか?

中国と争うことに利がないからです。

ウイグル自治区での蛮行を知りながら、なぜ世界は中国から物を買うのか?

誰もがおかしいと思いながらも、何もできない、いえしないのです。

批判もありましたがトランプ元大統領の「アメリカファースト」は至極あたりまえのことでしょう。

 

誰もが飢えることのない地球、理想は理想でしょうが

国と国で線引きせざるを得ない。

環境、政治、法律、宗教、納税など国によって違いがあって

義務を果たした人に権利が与えられる、これがあたりまえです。

「こっちの国で困ったから、そっちの国で養ってね、宗教は変えないし、納税もできないし、今までの常識で生きるけどね」ってなったらなんで?てなりますよ。

 

非情な一面も持っていなくては運営できないのが国だと思ってます。

この記事を書いた方はまず「自己犠牲」をするべきです。

全財産を投げうって、難民申請をしたい方をドイツと同じ5万人養ってみてほしい。

どれだけの財源が必要か、どれだけの事件が起こるか。

その財源と被害を国民全員で分担しろというのなら、まずご自身がどうぞ。

 

みんなに優しく、かっこいいことなら誰だって言えますよ。